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それまでずっと主人公のサポートをしてきた人間大イェーガーがクライマックスで正義の心によって巨大化して敵怪獣と戦う展開が……ない?

 ※途中ネタバレあります。


 というわけでようやく映画『パシフィック・リム』を見てきました。
 感想書くのに1週間くらいかかってもういいかな……って気になりましたがせっかく書いたので公開します。


 さて、みなさん大絶賛なわけですが。
 なんかこう……そこまでノレなかったというか、すごいし面白いとは思うんですが「これこそ怪獣映画だ!」みたいな気分にはなれませんでした。やはり怪獣映画ではなくてモンスター映画ではないかと。

 これはもう完全に意見の相違というか、自分の中で「怪獣」「怪獣映画」をどう定義するかという問題になってしまうので、読み飛ばしてほしいんですが。
 要点だけ言うと、「自分は日本(特撮)の方式で作られてないと怪獣映画と認識できない奴」ということです。

 で、自分の中の「怪獣映画」っていうのは完全に見立ての世界なんです。
 画面を見てもあんまり世界が破滅したり人類が滅亡するようには見えないんだけど、でもそうなんだという。
 予算もそこそこだし、ミニチュア組んで着ぐるみ着て……となればどうしたって作り物っぽさが出てしまうけど、その制約の中でどこまで出来るか。そしてその結果できたもの、それが「怪獣映画」じゃないかなあと。
 巨大なセットたてて「世界」を丸ごと作ってしまうハリウッドとは違う、舞台の上で行われている感覚というか。

 それと、あまり論理的には言えないんですけど、この映画の「KAIJU」がなんか怪獣っぽくない。
 どうしてもハリウッド的「モンスター」の延長線上にあるというか。
 デザイン単体でみると確かに怪獣みたいなんですが、どこか違う。
 結局、日本では「妖怪」の歴史があって、その先にあるのが「怪獣」なんだけど、それに対して欧米では「悪魔」の歴史があってその先に「モンスター」があるのかなと。
 二次元的デフォルメ化を進めた日本の絵に描かれた「妖怪」と、写実を追求したヨーロッパの絵画に描かれた「悪魔」、当然その先にあるものは同じではない。
 日本の怪獣って絶対聖書には出てこないと思うんですけど、この映画のKAIJUは聖書に出てくるかもしれない。
 同じく実在の生物から換骨奪胎してデザインしても、やはり抜きがたい違いが出てくるのではないでしょうか。
 パーツパーツで見るとよくても、全体のバランスが「怪獣」を感じさせないというか。
 完全に印象なんですが。
 あと、後で詳しく触れますけど、やっぱり人間に倒されたら怪獣じゃないんじゃないかなあと。


 ということで自己紹介が終わったので、これからは映画の内容的なことについて書いていこうと思います。


 まず、全体的な印象について強く感じたのは「これはゴジラじゃなくてガメラだ」ということです。ガメラって、平成の方ですね。
 最初ゴジラを期待してたら全然違ってて、あれ……なんか……?って思ったんですけど、途中ガメラだと気づいてからものすごく楽しめました。半分くらい損してる。
 冒頭、ギロンが出てきた時点で気づけていれば……。

 で、ガメラなんですけど、ひいてはガイナックス的な世界だと。見ていて非常に『トップをねらえ!』だなあと思いました。
 リアリティーの持たせ方とかケレン味の部分ですね。過去作へのオマージュ、も勿論そうですが。
 怪獣映画というかロボット映画というか、『トップ』のハリウッド・リ・イマジネーションと考えると自分の中では非常に腑に落ちる感じです。


 次に、作中の「KAIJU」観について。
 怪獣=自然の象徴とする考えはよく言われていると思います。だから怪獣は人間には倒せないんだと。
 そうだとすると、人間(イェーガー)に倒されている作中のKAIJUはどうなんでしょう。
 欧米思想では自然をコントロール可能なものとするというのもよく言われているので、そういうことなんでしょうか。

 それともまた違うと思います。
 というのは、この映画のKAIJUって自然の象徴ではないんですよね。異世界人につくられたクローン、つまり人工テクノロジーの塊。
 だからロボットで各個撃破もできるし、核で異世界も滅ぼせる。

 自分が「KAIJU」を「怪獣」とするのに躊躇する理由の一つが、それなんですよね。
 つまり「KAIJU」は自然ではなく、自分に向けられた悪意の象徴なんです。この場合は、人類を滅ぼそうとする異世界人の悪意。
 それはどういうことかというと、9.11ではないかと。

 9.11以後、アメリカの思想が変わったというのもまた、よく言われていることです。外からの侵略という視点が生まれたという。
 それまでのハリウッドで巨大モンスターというと、巨大ではあるものの駆除可能な単なる「生物」だったのが、9.11を経て、通常の軍隊等などでは簡単に対処できないという属性を付加されたということではないでしょうか。

 ただ、その基になったのは自然ではなく人の悪意だった。
 異質とはいえ人なのだから、最終的には人の力で倒すこともできるのです。
 だから、見ていてピンとこないというか、全然違う思想で作られたものなんだなと。9.11と3.11の違い。

 ところで、それとはまた別に、「KAIJU」を自然の象徴と考えるとどうでしょうか。
 「KAIJU」は作られた存在なんだから、自然を作る……異世界人は、自然を作れる存在ということになります。
 つまり、神なんですね。
 その「神」を滅する、神殺しの思想が入っているとも言えるのかもしれません。
 いずれにしろ、キリスト教的世界観なのかなと思います。


 最後に、ラストの本多猪四郎とレイ・ハリーハウゼンへの賛辞。
 これがこの映画を一言で表しているというか、監督の考えがよく分かるなあと思いました。円谷ではなく、ハリーハウゼン……つまり「特撮」ではなく「VFX」なんですね。
 つまり、日本の特撮とは別の方向なんだと宣言してるのではないか。
 いろいろ参考にはしてるけれども特撮ではないよ、と。


 だから、この映画は日本の特撮には致命的だという人もいますが、かえって安心しました。
 全然方向性が違う。
 逆に、これでもうダメだ……と思って意気消沈するのがダメなのではないでしょうか。
 日本の怪獣映画、いろいろあって今作られてないんですけど、何とか復活してほしいなあと思います。

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プロフィール

Author:田中
アニメ最貧国・秋田在住。視聴環境は主に衛星とソフト。
百合とか咲-Saki-とかガルパンとかプリキュアとか特撮とか。

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